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【自己言及パラドックスの不思議】「ハッキリ白黒付ける」事の本当の限界とは?

こんにちは、ブログ初投稿になります、ガンマCです。

初回のテーマは「自己言及」です。

ところでこんな人がいたらどうでしょう?

俺は必ずウソを付く

 嫌な人ですねえ。でもこの人の言っている事は別の意味でおかしいのです。
この記事ではこの「おかしさ」を「不思議な話題」として取り扱います。

 

「自己言及」って何でしょう?簡単に言うと

 

「ある文章が、その文章自身の内容について語っている事」

という意味になります。例えば、

 

この文に書いてある事は全て正しい」

 という文章は、文自体がその文の内容の事を語っているから「自己言及的」です。

 

これは元々論理学や数学の証明論などで扱われる話題なのですが、調べてみると意外と面白い!ガチガチの理論派の人だけでなく、「もっと多くの人に知って貰いたい」と思い、この記事を書こうと思い至りました。

 

では例文を交えながら、堅苦しくない範疇で解説をしていきたいと思います。

自己言及ってなあに?

例えば「吾輩は猫である」の冒頭をいじってみましょう。本物は

 

吾輩は猫である。名前はまだない。・・・

 

という書き出しで始まるのですが、この文が自己言及的になるように勝手に加筆してみましょう。

 

吾輩は猫である。名前はまだない。この物語は猫である吾輩と、その飼い主である珍野苦沙弥との間で交わされる日常の風景を描いている。

 

「この物語は・・・」が指し示している内容が、この物語についての内容について言及しているので、これは自己言及です。

 

他にも、

 

「この文は正しい」

 

という文は、見るからに自己言及的であると言えます。この自己言及文の性質は非常に面白いので、次にこれらが引き起こす混乱を紹介します。

 

このパラドックスが面白い

パラドックスとは日本語では「逆理」などと言われます。
この記事の文脈では大体下のような意味になります。

 

パラドックス

  • 「論理的に正しい道筋で考えても直感的におかしい結果をもたらす」
  • 「論理的に正しい道筋で考えても矛盾を引き起こす」

 

歴史的に面白い問題があるので、いくつかご紹介しましょう。

 

「この文はウソである」のパラドックス

まず下の文章をご覧ください。

この文はウソである。

 

まずはこの文全体を「正しい(真)」と仮定しましょう。そうすると「この文はウソ(偽)」という事になるので、「文全体が正しい」という仮定が誤りだった事になります。

 

次にこの文全体を「ウソ(偽)」だと仮定しましょう。そうすると「『この文はウソである』はウソである。」となり、「この文は正しい(真)」という事になるので、当初の仮定、「文全体がウソ」という仮定が誤りだった事になります。

 

つまりこの文全体について、「正しい(真)」と仮定する事もできず、「ウソ(偽)」と仮定する事も出来ないのです。

冒頭でこんな人を紹介しました。

俺は必ずウソを付く

 しかしこれは上記の理由によって不可能なのです。

「屁理屈」「言葉遊び」のように映るかもしれませんが、そうではありません。ここでは触れませんが「自己言及パラドックス論理学や数学の基礎に重大な問題を提起した経緯があります。

 

次にこのパラドックスをストーリー仕立てにしたものをいくつか紹介します。

※「正しい=真」「ウソ=偽」としたのは「普通の言語を使った例え」です。厳密な表現ではありませんが、ニュアンスを理解して貰う目的でこのように説明しました。

ワニのパラドックス

ある母子が川岸を散歩していると、突然ワニが現れて子供を連れ去ってしまった。ワニは母親にこう言った。

「子供を返して欲しければ、ワシの考えている事を当ててみろ。当てられれば子供は返してやるが、もし外れたら子供は食う。」

母親は少し考えたのち、ワニにこう言い放った。

「ワニよ、あなたは子供を食べるつもりなのでしょう。」

母親の答えを聞いたワニは、子供を食べるのを諦めざるを得なかった。

  •  もし母親の答えが正しいとすると、ワニの考えを母親が当てた事になるので、ワニは約束通り子供を母親に返す義務が発生します。
  • もし母親の答えが間違いだとすると、ワニは「子供を食べるつもりが無い」という事になるので、子供は食べられずに済むはずです。

床屋のパラドックス

ある村の床屋は、「自分でヒゲを剃らない人のヒゲだけを剃る」と公言している。そこである村人は床屋にこういった。

「お前さんは自分のヒゲは剃らないのか?」

床屋は村人の質問に困り果ててしまった。

  •  床屋自身がヒゲを剃らないとすると、床屋は「自分でヒゲを剃らない人」に該当するので、その人物(床屋自身)のヒゲを剃るしかなくなります。
  • 床屋が自分のヒゲを剃ってしまうと、「自分でヒゲを剃る人」に該当してしまい、床屋自身のヒゲを剃る事が床屋自身の信義に反してしまいます。

結局、床屋は自分のヒゲを剃る事も剃らない事も出来なくなってしまうのです。

図書目録のパラドックス

世界中の全ての本が収められた「世界図書館」がある。世界図書館の膨大な本を管理する為、この図書館ではある図書目録(図書リストを書いた本)が作られる事になった。この図書目録に記載するには条件がある。

・本が本の内容について言及していない事

・上の条件に当てはまる書物を全て記載する事

この図書目録は「図書」であるため、図書目録に記載される候補だが、果たしてこの図書目録自身が図書目録に記載される事が許されるだろうか?

  •  「図書目録自体を図書目録に載せる」とすると、「本が本の内容について言及していない」という条件に反するので載せられなくなります。
  •  「図書目録自体を図書目録に載せない」とすると、図書目録は「本が本の内容について言及していない」という条件を満たすために、記載しなければならなくなってしまいます。

 

結局、図書目録に記載する事も、記載しない事もできないというおかしな結論になるのです。

 

「白黒付ける」ことの限界

文には「平叙文」という種類のものがあります。これは文の中でも最も基本的なもので、例えば、

「私は人間である。」

という断定的な表現の事です。この「平叙文」は質問文(~ですか?)や推定文(~だろう)とは区別され、「ひとつの明確な意味を断定する文」と解釈されます。

私たちはこのような平叙文に対して、

  • 「これは確かにその通りだ」
  • 「これは間違いだ」

とどちらかに決められると思っている場合がほとんどだと思います。

「宇宙人は存在する」

という現在の人間にとって未知の問題であっても、「存在するか、存在しないか」のどちらかだと考える事はごく当たり前の事です。

 

ところが「自己言及文」の中には、それが平叙文であったとしても原理的に「ホントかウソか」決められないモノが存在しているのです。これは「矛盾」とは違います。ある文が矛盾かどうか決められるという事は、「真偽の判定が可能である事」を意味します。一方、下の文は真偽の判定が不可能です。

  • この文はウソである
  • 俺は必ずウソを付く
  • ワシの考えている事を当てられなければ子供を食う
  • 「自分でヒゲを剃らない」全ての人のヒゲを剃る
  • 「自己言及していない本」を全て記載した図書目録が存在する

これらの文は真偽が付けられるレベルを超過しているわけです。

「白黒ハッキリつけたい!」

と意気込む人は一定数います。ところが白黒ハッキリつけるにも論理的な限界があったのです。

これらの例は、言語(論理)自体の根幹部分から直感を裏切る結論に至っています。

例文は「自己言及パラドックス」をストーリーで味付けした伝統的なものですが、ある時期の論理学や数学にとってはとても深刻な問題だと捉えられていました。

何故なら論理学者や数学者は「何事にも白黒つける」事を第一の目標としていたからです。パラドックスの発見によって、これを克服しようとした専門家達から多くのアイディアが生まれました。また自己言及の性質を上手く駆使し、数学分野で数多くの優れた成果が生まれました。

 

自己言及の不思議まとめ

言語哲学や論理学、数学ではこれらの問題を「無意味だ」と言って無視する事はありませんでした。むしろこの問題提起は克服すべき課題を明確に与え、基礎学問としての大いなる醸成と進展を果たしたのです。

 

「自己言及文」が単なる言葉遊びではなく、この奇妙な性質から生まれた混乱はまさに人類知の大きな発展のきっかけとなりました。

これまで当然だと思っていたものを掘り下げると、今までの常識を大きく覆すような結果が生まれる事があります。

「自己言及パラドックス」は人間の扱っているものの中で最も基本的なツールである「言語」「論理」「数学」の、一番深い部分に座っています。

  • 説明する
  • 証明する

という全ての学問の大前提となる機能について、適用限界をはっきりと示したのです。

 

世の中の不思議は数あれど、私がブログの初回でこれをテーマにしたのには理由があります。面白いか、面白くないかは別にして、恐らく「人間が不思議に思う」事の中で最も基本的なレベルにある問題だと考えたからです。

 

次回以降は別の種類の「不思議」を紹介する事になるでしょうが、今回以上に根本的なレベルで語るのはなかなか難しいのではないかと考えています。

 

興味を持ってくれた方がいたのなら幸いです。